〈Kitaraワールドオーケストラシリーズ〉
サー・アントニオ・パッパーノ指揮
ロンドン交響楽団
サー・アントニオ・パッパーノ インタビュー

「LSOは長い歳月をかけ磨き抜かれた名人集団です」
~パッパーノは語る

LSO Pappano 写真

© Mark Allan

サー・アントニオ・パッパーノは1959年、イングランド東部のエセックス州エピングで生まれた。両親はイタリアのカステルフランコ・ヴェネトから前年に移住してきたイタリア人。一家は13歳で米コネチカット州へ移住した。21歳でニューヨーク・シティ・オペラ(現在は閉鎖)の稽古ピアニストに雇われて以来、パッパーノの軸足は一貫して歌劇場に置かれ、ルーツであるイタリアのオペラだけでなく、ドイツのバイロイト祝祭でダニエル・バレンボイム(1942―)の助手を務め、ワーグナー楽劇をはじめとするドイツ物にも守備範囲を広げた。

LSO Pappano 写真2

© Mark Allan

オペラのカペルマイスター(楽長)としては2002年から2024年の長きにわたって君臨したロンドン・コヴェントガーデンの英国ロイヤルオペラ(ROH)の音楽監督で、1つの頂点を極めた。それだけに2024年の日本ツアーを花道にROHを去り、同年9月からロンドン交響楽団(LSO)首席指揮者に就くとの決定は驚きをもって迎えられた。ROHからLSO、はかつてサー・コリン・ディヴィス(1927―2013)が歩んだ道筋で、パッパーノが英国を代表するマエストロ(巨匠)に熟した証(あかし)ともいえる。

サー・サイモン・ラトル(1955―)がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者からLSO音楽監督に転じた2017年時点では、誰もがサイモンの〝帰郷〟ととらえ、長期政権になると信じていた。サイモンはLSOにふさわしい新たなコンサートホール建設にも奔走したが、英国のEU(欧州連合)離脱=ブレグジットを端緒とする様々な混乱に阻まれ、2023年で辞任。再びドイツのバイエルン放送交響楽団首席指揮者へと転じた。これがパッパーノに「予期しなかった幸運」をもたらした。2023/24年シーズンから実質LSO首席指揮者の仕事を始めてヨーロッパ域内2回のツアーを率い、正式就任早々の9月には再び日本を訪れ、新しいコンビのお披露目ツアーに臨む。

LSO Pappano 写真3

© Mark Allan

LSOとの出会いもオペラだった。 「1996年、ロンドンのアビー・ロード・スタジオでEMI(現ワーナー ミュージック)のためにプッチーニの《つばめ》をセッション録音したのが最初です。これを機に、実演でも頻繁に指揮するようになりました。実はLSOにもかつて、フランスのエクサン・プロヴァンス音楽祭でオペラを演奏してきた伝統があり、2027年に復活させます。私の夢はLSOをコンサート、オペラ両面のレジデンス(殿堂)とすること。とりわけ演奏会形式のオペラには聴衆ともども音楽に深く集中できるメリットがあり、大好きです。オペラは私の人生そのものですから、縁は切っても切れません。私の人生のコマが1つ進み、焦点がROHからLSOに移っただけであり、新しい職責に新鮮な気持ちで向き合い、喜びとともに働きます」

LSO Orchestra 写真

© John Davis

LSOは1904年創立から1911年まで首席を務めたハンス・リヒター(1843―1916)、1912~1914年に君臨したアルトゥール・ニキシュ(1855―1922)らドイツ語圏の指揮者の薫陶を受け、1977~1981年にはカール・ベーム(1894―1981)が「会長」を務めた。最も重厚なアンサンブルとサウンドで、一頭地抜けた存在と目されている。

パッパーノもLSOの伝統に一目を置く。 「長い年月を費やして旺盛なエネルギーと個性、強力なモーターに磨きをかけてきた名人(ヴィルトゥオーゾ)集団です。ロンドンのオーケストラの多くが早さ(quick)を売り物にするなか、LSOはじっくり(slow)に徹してきました。たった1人のメンバーの補充でも5~6年、時には7~8年もかけてオーディションを繰り返し、納得のいく人事を極めます。結果、1人1人の音楽家に強い存在感と意味が宿ってきたのです。そうそう、ピエール・モントゥー(1875―1964)が最晩年(筆者註:1961~64年)に首席指揮者を務めた影響は今に至るまで大きく、フランス音楽も得意とするオーケストラですよ」

2024年9月29日の札幌公演ではメインの交響曲にマーラーの「交響曲第1番《巨人》」を選んだ。パッパーノは 「とても静かな自然界の音に始まり、真に近代的なのは最終楽章だけです。しかしながら、ここでの自然とはR・シュトラウスの場合と同じく『私』のフィルターを徹底的に通したもので、近代人の自我に支配されているのが特徴といえます」 と、楽曲の持ち味を語る。

Yuja-Wang 写真

© JuliaWesely

前半のラフマニノフ「ピアノ協奏曲第1番」のソロはユジャ・ワン。 「ラフマニノフの1番にはショパンの影響が明らかです。ユジャの華麗な外見に惑わされてはいけませんよ!(笑)長く首席指揮者を務めてきたサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団で何度も共演を重ねましたが、実像はとても深く掘り下げられた音楽性の持ち主であり、どの楽曲でも入念に意見を交わしながら本番にかけます」 ラフマニノフの協奏曲ではスランプから王道に復帰した出世作の「第2番」、アメリカ演奏旅行のために華麗な技巧の限りを尽くした「第3番」が有名だ。これに対しモスクワ音楽院在学中の1890~91年(17~18歳)に書かれ、後に記念すべき「作品1」の番号を与えられた「第1番」にはショパンやリストの影響、巨匠ピアニスト&大作曲家の原点の両面がみられ、もぎたての果実のように新鮮な音楽を聴くことができる。

池田卓夫(音楽ジャーナリスト@いけたく本舗®
https://www.iketakuhonpo.com/